北京・平河趣聞博客(ぺきん・ひらかわこねたぶろぐ)
大雪でお亡くなりになった方々の冥福を祈り 2009/07/18 10:06
http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/1136661 ■先々週あたりから、政治部は「政局が緊迫」しているということで、新米政治部記者(といってももう9カ月)も、
否応なく巻き込まれている。勤務時間朝8時から25時まで、中国の汗血工場か、ガレー船かという忙しさである。
当然私だけでなく、私以上に同僚、そして他社の記者たちが働いていて、平河の記者クラブでは「血反吐吐く」と
かいううめき声が他社のブースから聞こえてくる…。もっとも負けると分かっていても、炎天下の戦場に行かねば
ならない議員の先生方の苦悩とストレスに比べれば新聞記者の方がだいぶんと気楽だが。といった内輪話は、
今度にして、今日は、産経以外は一面に記事を掲載していた大雪山系の遭難記事についてである。
■私の学生時代のアルバムに、ガスで真っ白になったトムラウシ山頂でポーズをとっている写真がある。いや
あったはず。アルバムは奈良の実家にある。とにかく寒く、吹きすさぶ風の中で亀の子のように首を縮めている
ような写真ではなかったか。アルバムにはルートも状況も全部メモしてはさんでいるはずなので、実家に帰れば、
記憶ももっと蘇ると思うが、当時はとにかくパーティリーダーの後ろをついていくのに必死で実は、頭の中もガスが
かかったように真っ白だった。寒くずぶぬれの、山登りを始めて4カ月目の19歳の夏。
■きょう、夕刊デスク当番(福島は隔週で土曜夕刊担当もやるようになりました)なので、午前7時半から本社
編集局で、久しぶりに体を休めながらゆっくり新聞を読んだ。産経は夕刊は大阪エリアだけなので、土曜夕刊
デスクというのは、風呂屋の番台のように妙に時間がある。
■大雪山系の遭難記事をよみながら、断片的に、あ、この地形、この地名知っている、と少しずつ思い出し、
私と同じ場所を歩いた人たちが亡くなったんだなあ、と思うと急に旧友の死を知らされたような気持ちになった。
土曜夕刊時間帯の編集局がひまでよかった。こいつ、なんで泣いているのかと奇異に見とがめる人もいない。
■各紙とも、ツアー会社やガイドの判断力を批判しつつ責任論や中高年登山の危険性とか問題点を指摘、亡く
なった方々の登山歴や家族に残した言葉などを紹介するという構成。これはオーソドックスで当たり前なのだが、
おそらく記事を書いている記者の中には同じようにトムラウシを強い風の中、のぼった人もいるのではないかと思う。
映画になった「クライマーズ・ハイ」に出てくる主人公の新聞記者も山好きだったが、新聞記者のワンゲル、
山岳部出身率は意外に高いから。
■そういう記者は、定番の記事を書きながらも、いろいろなことを考えたかもしれない。たとえば、自分の一瞬の
判断ミスで多くの人の命を心ならずも失わせてしまったガイドさんの背負う十字架の重さとか。幸いにも命を取り
留めた人たちも、もう二度と愛した山々に登ることができないかもしれないトラウマだとか。
■高校卒業時には受験勉強で甘やかされた体重が60`をこえ(今は52`、念のため)、到底、山登りや苛酷な
運動に耐えられるような根性のないと思われた私が大学でワンダーフォーゲル部に入ったときは、当然、両親は
大反対だった。大雪山系を10日かけて縦走する夏合宿のときも、親は、引率者(パーティリーダー)が弱冠22歳
の大学の先輩であることに青ざめたものだった。親があまりにもうるさいので、「万が一の場合があっても、山で
死ぬことは本望です。パーティリーダーや生き残った人たちを決して責めないようにお願いします」と一筆したた
めて出かけたのを覚えている。